元気ですかー!!!
アントニオ猪木氏が2022年10月1日逝去されてから約2年が経ちました。今回は、アントニオ猪木氏(以下「猪木」という。)について触れていきたいと思います
とはいえ、猪木について話していると、あまりにも情報量が多すぎて埒が明かないので、私にとっての猪木ということに絞って書き記していこうかと思います。
プロレス、そして猪木との出会い
まずは、私とプロレスとの出会いから語らせてください。
当時幼稚園児であった私は、テレビアニメのタイガーマスクⅡ世でプロレスと出会い、同時に実際のプロレスにもタイガーマスクという同名のプロレスラーがいることを知りました。
これは本当に衝撃的な経験でして、アニメ以上に華麗なタイガーマスクの動きに心をときめかせ、言葉にできないような興奮を覚えたことを40年以上経った今でもぼんやりと思い返します。
そこからプロレスを楽しみに観るようになったのですが、タイガーマスク(初代)の活動期間は意外に短くて、タイガーマスクが居なくなった際に、今でいう「推し」を探したときに一番強いであろうアントニオ猪木に興味が移っていったという流れであったように覚えています。
そのころの猪木はすでにベテランの域に入っていましたが、大きく、力強く、柔らかく、技術のある猪木は強さの象徴のように小学生の私の目に映っていました。
猪木より大きい外国人選手も、生きのよい若手も、猪木には勝てない。その様子をみて「猪木は”総合力”や”人間力”が違うぜ!」というように私は感じていました。
猪木名勝負
そんな1976年生まれの私にとっての猪木の名勝負を挙げさせてもらいたいと思います。
猪木の活動期間は非常に長いので、もちろん数え切れないほどの名勝負があるのですが、「マイリアルタイム猪木」ということで色々とご容赦ください。
vs. ハルク・ホーガン 1983年6月2日
子ども心になんだかよくわからないものの、IWGPというタイトルが掛かっている大一番だろうがなんだろうが猪木が勝つんだろうと観ていたら、まさかの失神KO負け!?
当時7歳であった私は、半分ぐらい特撮ヒーロー番組と同じような感覚でプロレスを観ていたので、猪木が負けたことと失神して担架で運ばれていく姿に衝撃を受けました。
まぁ何年か経ってから、あの時に失神してたとか実はしてなかったとか、色んな話を聞くことになるのですが…。
vs. アンドレ・ザ・ジャイアント 1986年6月17日
猪木が初めてアンドレ・ザ・ジャイアントからギブアップを奪った試合がとても心に残っています。
それまでアンドレ・ザ・ジャイアントにギブアップ勝ちをしたレスラーは一人もいなく、人類初の快挙だったのです。
当時は「アンドレ・ザ・ジャイアントに勝った男が世界最強だ」という論説があったようですが、それって変ですよね?じゃあ世界最強はアンドレ・ザ・ジャイアントじゃないの?っていう…。
でもわかるんです、アンドレ・ザ・ジャイアントは規格外の大きさでそれは人間と呼ぶには大きすぎたのですから。人間山脈!!一人民族大移動!!!
取り乱してすみません。
細かい試合展開は全く覚えていないですが、猪木がアンドレの腕を極めるビジュアルが脳裏に焼き付いて離れません。それは力強く美しい瞬間で、まるで歴史的な絵画や彫刻のように当時の私には映りました。
vs. ビッグバン・ベイダー 1987年12月27日
ビートたけしがなんだか変な被り物を被ったデカい外国人(ビッグバン・ベイダー)を連れてきたのですが、胡散臭いしどうせ見かけ倒しなんだろうなと思っていたら、猪木がほぼ何もできずにフォール負け。
当日は色々と予定が変わってグダグダな流れだったようで、長州力と試合をした後にベイダーと戦うことになった猪木。
とはいえ、こんな負け方をするとは…という印象でした。
この後ビッグバン・ベイダーは新日本プロレスのレスラーにとって大きな大きな壁になっていきます。
それとこの日は、猪木が「どーーですか!?お客さーーん!!」と初めて言った日だったと思います。
vs. 橋本真也・蝶野正洋 1990年2月10日
試合の内容うんぬんより、試合直前のインタビューの「出る前に負けること考える馬鹿がいるかよ…出てけ!!」がカッコよすぎて、今でも繰り返し脳内で再生しています。
また、相対する橋本真也と蝶野正洋のインタビューで、
橋本「時は来た、それだけだ…」
蝶野「プッ(´艸`*)」
で橋本が照れるという流れも可愛かったです。
「1!2!3!ダァーーー!!!」が初めて披露されたという意味でもとても印象に残っている試合です。
試合の内容は全く覚えていないのですが・・・
vs. ジェラルド・ゴルドー 1995年1月4日
極真空手の世界でも一目置かれていた実践空手家であるジェラルド・ゴルドーは、プロレスの世界でもその存在感を遺憾なく発揮していました。
そんなゴルドーとの試合は猪木にとって最晩期の試合の一つですが、ゴルドーの正拳突きに悶え苦しむ猪木を見て、空手の強さを感じました。
ミスター高橋の暴露本によると、苦しみながら勝利した猪木は用意されていた決勝戦に出たくないと駄々をこねていたとのことです。ほんとかな??
猪木よ永遠なれ
プロレスラーという枠を超えて現役中も引退後も様々な”闘い”を繰り広げていた猪木。その魅力や業の深さを語りつくすころには普通の人間の一生が終わってしまうような気がします。
いくつ会社を創って、壊しているのでしょう…。何人の人に希望を与え、幻滅させているのでしょう…。
近くにいる人にとって猪木がどのように映っていたのかは計り知れないですが、世間に対して自らの存在をアピールをし続けた猪木は人生のほぼ最後の瞬間までyoutubeで自身の近況を公開し続けました。
正直に言うと、猪木のあんなに衰弱した姿を見たくなかったという思いもありましたが、すべてさらけ出すというのが猪木スタイルなのでしょう。
そんな猪木だったので、今後も若者に「また(ミカミが)わけのわからんことを言ってるわ…」と呆れられながらも、猪木のことを忘れずに好き勝手にあーだこーだと語り続けることが彼への一番の供養なのではないか、と個人的に思っています。
猪木よ永遠なれ。